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大阪地方裁判所 昭和56年(ワ)366号 判決 1983年9月29日

原告兼亡原告甲山始訴訟承継人(以下「原告」という。)

甲山ハナ子

原告兼亡原告甲山始訴訟承継人(以下「原告」という。)

甲山万理子

右法定代理人親権者

甲山ハナ子

右原告ら訴訟代理人

山本敏雄

被告

戸塚宏

被告

横田吉高

被告

山口孝道

被告

境野貢

被告

可児熈允

被告

東秀一

右被告ら訴訟代理人

山本秀師

今井安榮

加藤豊

主文

一  被告らは、原告甲山ハナ子に対し、各自金二一四八万九〇七九円および内金一九九八万九〇七九円に対する昭和五六年二月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告甲山万理子に対し、各自金七一六万三〇二六円および内金六六六万三〇二六円に対する同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、被告らの負担とする。

五  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1(一)  被告らは、原告甲山ハナ子(以下「原告ハナ子」という。)に対し、各自二四二八万八七五〇円および内金二二七八万八七五〇円に対する昭和五六年二月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告らは、原告甲山万理子(以下「原告万理子」という。)に対し、各自八〇九万六二五〇円および内金七五九万六二五〇円に対する同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一請求原因

1当事者

(一) 承継前原告亡甲山始(以下「始」という。)は、訴外甲山一郎(以下「一郎」という。)の父、原告ハナ子は、一郎の母である。

(二) 被告戸塚は、登校拒否等情緒障害児の教育を目的としてヨットの合宿訓練を実施する「戸塚宏ジュニアヨットスクール」(以下「本件ヨットスクール」という。)の経営者であり、その余の被告らは、いずれも被告戸塚から委任を受けて右ヨットスクールのコーチとして被告戸塚を補助し右情緒障害児等のヨット訓練および合宿所内での生活全般の管理を行う者である。

2一郎の本件ヨットスクール入校の経緯

(一) 一郎は、昭和三四年八月一六日出生し、昭和五〇年同志社香里中学校を卒業すると同時に同志社香里高校に進んだが、そのころから成績不振に陥り、昭和五三年同校をなんとか卒業したもののその年受けた大学の入学試験に不合格となり、予備校である関西文理学院に入学したが四か月位で登校を拒否して自宅に閉じこもるようになり、思うように勉強がはかどらないこと等から精神的動揺をきたし、ついには昭和五四、五五年と二年続けて大学の入学試験を受けることさえ拒否し、さりとて就職をするわけでもなく、ただ自室にこもつて読書とかレコード音楽を聴くという生活状態を続けるようになつた。

(二) そこで、始と原告ハナ子の両名は、親として一郎の右のような状態と将来を憂慮し、予備校への登校拒否を治し、受験勉強に積極的に取りくませるには本件ヨットスクールの合宿訓練が効果があるかもしれないと考え、昭和五五年(以下年号を記さない月日は昭和五五年のそれである。)一〇月二五日ごろ、被告戸塚に対し、一郎が運動不足なので過激な訓練を避けるよう注文をつけたうえ、一郎の精神力を強化し社会に適応させるため本件ヨットスクールの合宿訓練を一郎に受けさせることを委託し、同月三〇日、一郎の身柄を引渡し、翌三一日右入校の費用として入校金五〇万円、ウエットスーツ費三万円、合宿費五万円合計五八万円を支払つた。

3一郎の合宿訓練の状況と死亡に至る経緯

一郎は、同月三〇日愛知県知多郡美浜町大字河和字北屋敷二三六所在の本件ヨットスクールの合宿所(以下「本件合宿所」という。)に連れてこられ、翌三一日から一一月二日までヨット訓練を受けたが、訓練に積極性を示さず他の訓練生より運動量が少ないことを理由に被告らから全身にわたつて手拳や打撃棒による殴打、足蹴等の暴行を受け体全体に無数の表皮剥脱、皮下出血等の傷害を受け、かつその他訓練による体力の消耗も相まつて身体が衰弱し、同日夕方ごろには体温が摂氏三五度となり身体の自由がきかず寝込むような状況になつた。しかしながら、被告らは、医師の手当てを受けさせることもなくそのまま放置したことにより、一郎は、同月四日午前〇時一五分ごろ、右のような暴行に基づく傷害や訓練による疲労、体力消耗が誘因となつて出血性肺炎を発症させ、それが原因で死亡するに至つた。

4被告らの責任

(一) 被告らの不法行為責任

被告戸塚は、右委託契約の当事者として、その余の被告らはその履行補助者であるコーチとしてそれぞれの資格において一郎のヨットの訓練および合宿所での生活管理を共同して実施していたが、このような場合被告らには、一郎の生命身体の安全や健康状態を損わないように配慮し、慎重かつ適切な訓練および生活管理上の措置を講ずべき共通の注意義務があるにもかかわらず、被告らは、一郎に対し、共同して前記のような暴行を伴なう過激な訓練を実施して体力を消耗させ、さらには前記のように身体の抵抗力がなくなつて危険な状態にある一郎に医師の手当てを受けさせることなく放置して死亡させたものであるから、本件死亡事故は、被告らの過失により生じたものというべく、被告らは、民法七一九条一項前段の規定により、始と原告ハナ子の両名に対し、連帯して後記損害を賠償する責任があるというべきである。

(二) 被告戸塚の債務不履行責任

被告戸塚は、始および原告ハナ子の両名から、一郎の精神力を強化し社会に適応せしめるため本件ヨットスクールの合宿訓練を一郎に受けさせることの委託を受けたのであるから、一郎の生命身体の安全や健康状態を損わないように配慮し、慎重かつ適切な訓練および生活管理上の措置を講ずべき債務があるにもかかわらず、その履行補助者であるその余の被告らと共同して一郎に対し、前記のような暴行を伴なう過激な訓練を実施して体力を消耗させ、さらには前記のような身体の抵抗力がなくなつて危険な状態にある一郎に医師の手当てを受けさせることなく放置して死亡させたものであるから、債務不履行に基づき、始と原告ハナ子の両名に対し、後記損害を賠償する責任があるというべきである。

5損害

(一) 一郎の逸失利益 二一三八万五〇〇〇円

一郎は、死亡当時満二一歳の健康な男子であつたから四六年間は就労しえたものと推認でき、年令満二一歳の高卒として年額一八一万七〇〇〇円の収入を得るから、右期間を通じて控除すべき生活費を五割とし、中間利息の控除につきホフマン式計算方法を用いて一郎の死亡時における逸失利益を算定すれば、二一三八万五〇〇〇円となる。

(二) 一郎本人の慰謝料 六〇〇万円

一郎が死亡するに至るまで受けた精神的苦痛は甚大であり、これを慰謝すべき金額としては六〇〇万円が相当である。

(三) 一郎死亡による相続

始と原告ハナ子の両名は、亡一郎の父母として右(一)、(二)の損害賠償請求権を二分の一ずつ各合計額一三六九万二五〇〇ずつ相続した。

(四) 始と原告ハナ子固有の慰謝料 各一五〇万円

一郎の死亡により始と原告ハナ子が父母として受けた精神的苦痛は甚大であり、これを慰謝すべき金額としては各一五〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用 各一〇〇万円

始と原告ハナ子の両名は、本訴の提起、追行を原告ら訴訟代理人に委任し、その報酬として各一〇〇万円ずつ支払う旨約した。

6始と原告ハナ子の両名は、昭和五六年二月四日、被告らに対し、本訴状により各自右損害金一六一九万二五〇〇円と右金額から右弁護士費用を控除した残額である内金一五一九万二五〇〇円を支払うよう催告した。

7始は、昭和五六年二月六日死亡し、原告ハナ子はその妻であり、原告万理子はその子であるから、原告らは、右5の始の損害賠償請求権を二分の一ずつ相続した。

よつて、原告ハナ子は、被告らに対し、被告戸塚については不法行為または債務不履行に基づく損害賠償請求権に基づき、その余の被告らについては不法行為による損害賠償請求権に基づき、各自右損害金二四二八万八七五〇円および右金額から前記弁護士費用を控除した残額である内金二二七八万八七五〇円に対する右不法行為後で訴状による催告の日の翌日である昭和五六年二月五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告万理子は、被告らに対し、同じく各自右損害金八〇九万六二五〇円および右金額から前記弁護士費用を控除した残額である内金七五九万六二五〇円に対する同日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実のうち、一郎が一〇月三〇日に本件合宿所に連れてこられ、翌三一日から一一月一日までヨット訓練を受けたこと、翌二日には一郎の体温が摂氏三五度となり寝かされたこと、一郎が医師の具体的治療行為を受けることなく一一月四日午前〇時一五分ごろ死亡したことは認め、その余は否認する。

4  同4(一)、(二)の主張はいずれも争う。

5  同5の事実は知らない。

6  同7の事実は認める。

三被告らの抗弁

被告らの一郎に対する本件合宿所でのヨットの訓練および生活管理の実施は情緒障害児教育の一環としての行為であり、正当行為として違法性が阻却されるべきである。

四抗弁に対する認否

抗弁の主張は争う。

第三証拠<省略>

理由

一次の事実はいずれも当事者間に争いがない。

1  請求原因2の事実。

2  同2の事実。

3  同3の事実のうち、一郎が一〇月三〇日に本件合宿所に連れてこられ、翌三一日から一一月一日までヨット訓練を受けていたこと、翌二日には一郎の体温が摂氏三五度となり寝かされたこと、一郎が医師の具体的な治療行為を受けることなく一一月四日午前〇時一五分ごろ死亡したこと(以下この「死亡事故を「本件死亡事故」という。)。

4  同6の事実。

二  被告戸塚の経営する本件ヨットスクールについて

右争いのない請求原因1(二)の事実、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  本件ヨットスクール開設に至る経緯

被告戸塚は、名古屋大学工学部在学中ヨット部主将を務め、数々のヨットの国際レースに参加し、同大学卒業後、昭和四五年香港・マニラ間のチャイナ・シー・ヨットレースに、昭和五〇年沖縄海洋博を記念して行われた第一回太平洋横断単独ヨットレースにそれぞれ優勝するなどしたヨットマンである。

同被告は、右優勝後、昭和五一年秋ごろから昭和五二年春ごろまでの間に、欧米先進国並みの技術を持つヨットマンを育成することとヨット訓練を通じて青少年の肉体および精神を鍛えるために本件合宿所所在地他全国八か所に「戸塚ジェニアヨットスクール」を開設し、青少年のヨット訓練につとめてきた。

ところが、昭和五二年四月ごろ、登校拒否の状況のある情緒障害児の一人が右ヨットスクールによる訓練によつて立ち直り、それがマスコミによつて取り上げられたことから全国の多数の情緒障害児を持つ親達が右ヨットスクールに子供を入校させるようになつたため、同被告は、同年一二月ごろ、右要望に応じるべく、一般のヨットスクールとは別に情緒障害児のための特別合宿訓練を実施するヨットスクールを開設することにした。

(二)  情緒障害児に対する特別合宿訓練の内容

情緒障害児とは、情緒不安定ないし緊張によつて不適応な情緒反応を示し、さまざまな行動問題、神経症的反応ないし病的反応を呈する子供をいい、吃音児、神経性習癖児、緘黙児、登校拒否児、非全児、夜尿症児等がその代表的なものである。

被告戸塚は、このような情緒障害児の原因がこれら児章達の虚弱精神にあるものと考え、それに対する治療方法としては児童を逆境におき、孤立無援で自力ではい上がらせ、やり逐げた満足感で今後の自信を持たせることにより精神力を強化すべきものと考え、ヨットの特別合宿訓練の内容を次のようにした。

(1)  訓練の対象となる児童(なお、訓練の対象者は児童に限らないが、児童が多数を占めるので、ここでは児童という言葉を用いる。)は各回平均一〇人から二〇人までとし、訓練期間は四、五日から一〇日までの短期なものとする(ただし延長期間もある。)。

(2)  特定の合宿所に対象児童を収容して合宿させ、ヨット訓練だけでなく生活面も規制する。

(3)  合宿訓練の一日のスケジュールは大体次のとおりとする。

午前六時 起床、ラジオ体操、体力トレーニング

七時 朝食

八時から正午まで ヨット艤装、海上における帆走訓練

正午 昼食、昼休み

午後一時から五時まで 帆走訓練

五時 ヨット解装、整理体操、入浴

六時 夕食

七時から八時まで 反省会、ヨットの乗り方についての講義

九時 消灯、就寝

(4)  ヨットの帆走訓練の内容

訓練児童はその操縦方法についての説明を受けたのち、転覆しやすい構造になつているヨットに乗せられ、沖合で一人で操縦することを強制せられる。しかし、技術が未熟なため何度も転覆に会い、海中に投げ出され、ライフジャケット着用のため海面に漂いヨットにつかまつているが、コーチは助けようとはせずに操縦方法だけを指示する。そして、児童は、何度も転覆してヨットにはい上がり試行錯誤をくり返すうちにやがて操縦方法を覚えて思いどおりにヨットの操縦ができるようになり、このような過程を経ることによつて児童の精神力が強化される。

(5)  コーチによる指導方法

被告戸塚の下にその委任を受けた数名のコーチが存在し、個々の児童に対する担当者はあらかじめ決められておらず、全員が一体になつて指導を行うという体制がとられている。しかし、総括責任者というべき被告戸塚は必ずしも訓練現場や合宿現場におらず、また指導全般を統括するコーチはおかれていないし、個々の児童の状態を把握する責任を負うべき担当者はおかれていないから、個々の指導は、そのときどきにおいてその衝にあるコーチが全体としての枠組の中でその裁量で行うことになつている。

そして、ヨットの帆走訓練だけでなく、準備体操からヨットの艤装、解装等に至るまで無気力や怠惰な行動がとられた場合厳しく叱責するとともに訓練の効率を上げるために児童に対し体罰を加えることもされている。その体罰の方法は、手(手の平ないし手拳)や竹の棒による殴打、足蹴を太腿部等下半身を中心にして全身に加えるというものであり、場合によつてはこれらの暴行だけでなく食事を抜くという手段も用いられる。

(三)  合宿訓練の経過

昭和五二年末ごろから始めた合宿訓練は現在もなお続いているが、その間の卒業生は昭和五四年までの分を数えただけでも延べ二百数十名にものぼり、そのうちの一部の児童は情緒障害を克服し、児童やその親から感謝されるに至つている。しかしながら、他方では、本件死亡事故以外にもすでに昭和五四年二月二四日訴外K(当時一三歳)が合宿訓練中に化膿性腹膜炎により死亡するという事故が、昭和五七年八月一四日訓練生(高校生)二名がコーチに引率されて合宿先の鹿児島奄美大島から神戸港へ向かう貨客船から海の中へ飛び込んで行方不明となるという事故が、同年一二月一二日訴外O(当時一三歳)が訓練中に外傷性ショックにより死亡するという事故が起きており、右Oの死亡事故については被告戸塚および関係コーチがいずれも傷害致死の罪名ですでに起訴されている。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  本件死亡事故の経過

1前記一1ないし3の争いのない事実、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  一郎の本件ヨットスクール入校の経緯

一郎は、昭和三四年八月一六日、始と原告ハナ子の長男として出生し、昭和五〇年同志社香里中学校を卒業すると同時に同校の推薦で同志社香里高校に進学したが、一年の二学期から成績不振に陥り、ラグビー部に入ることにより生活面でのリズムをつけ昭和五三年四月同校を何とか卒業した。一郎は、卒業後の進路については大学進学を志望していたが、成績不良のため同校から同志社大学入学の推薦を受けることができず、その年受けた追手門大学および奈良大学の入学試験は二校とも不合格となつた。そこで、一郎は、同年四月から受験勉強のため予備校である関西文理学院に入学したが四か月位で登校を拒否して自宅に閉じこもるようになつた。しかし、思うように勉強がはかどらず精神的動揺をきたしたまま、模擬試験も余り受けようとはせず、ついには昭和五四、五五年と二年続けて大学の入学試験を受けることさえ拒否するに至るが、さりとて就職をするわけでもなく、ただ自室にこもつて読書とかレコード音楽を聴くという生活状態を続けるようになつた。

その間、始と原告ハナ子の両名は、親として一郎の右のような無気力で社会性のない生活状態を憂い、その将来を心配して、関係機関を訪ねたりして対策に苦慮していたが、一郎の状態は一向に良くならなかつた。

ところが、始ら両名は、昭和五五年(以下年号を記さない月日は昭和五五年のそれである。)一〇月三日ごろ、新聞で、本件ヨットスクールの合宿訓練によつて登校拒否を克服し神戸港ポートピアの記念行事としての太平洋横断単独ヨットレースで入賞した訴外東山洋一少年のことを知り、一郎に本件ヨットスクールの合宿訓練を受けさせれば立ち直るのではないかと考え、さつそく同月一〇日被告戸塚に対し、書面で本件ヨットスクールの案内状の送付と東山少年の住所を教えてくれるよう依頼した。すると、同月一八日ごろ、被告戸塚から始ら両名に対し、本件ヨットスクールの案内状等入校手続書類と東山少年の住所を記載した手紙が送付されてきた。

右両名は、その後、東山少年の母に本件ヨットスクールの合宿訓練の状況を問い合わせたり、一郎の高校時代の先生に相談するなどした結果、一郎の右のような現状を改善するには本件ヨットスクールの合宿訓練が効果があるかもしれないと考え、かくして同月二五日ごろ、被告戸塚に対し、一郎の精神力を強化し社会に適応させるため本件ヨットスクールの合宿訓練を一郎に受けさせることを委託した。その際、始は、被告戸塚に対し、一郎は二年余りも運動不足で心配だから過激な訓練をさせないでくれるよう注文をつけた。

同月三〇日、あらかじめ打ち合わせていたとおり、本件ヨットスクールのコーチをしていた被告横田と被告東の両名が一郎を本件合宿所に連れていくために車で迎えに来た。その際、一郎は本件ヨットスクールの合宿訓練を受けることを聞かされておらず本件合宿所へ行くことを拒絶したので右被告両名と始は一郎に暴行を加え強制的に乗車させ、右被告両名において一郎を本件合宿所に連行した。

始と原告ハナ子の両名は、翌三一日、被告戸塚に対し、右入校の費用として入校金五〇万円、ウエットスーツ費三万円、合宿費五万円計五八万円を銀行に振込んで支払つた。

(二)  一郎は、一〇月三〇日夕方本件合宿所に連れてこられたが、その日は本件ヨットスクールの卒業生の送別会があつたため、本件合宿所の近くにある角屋旅館において他の訓練生とともに食事と入浴をすませたのち、本件合宿所に戻つた。

なお、当時本件合宿所において被告戸塚の委託を受けてヨット訓練および生活管理をしていたコーチは七、八名であり、前記被告横田や同東の他に、被告可児、同山口、同境野らがいた(以下被告戸塚を除くその余の被告を「被告コーチら」という。)。そして、これらコーチの全員が一体となつて一郎のヨット訓練および生活管理の任にあたつていた。

(三)  一〇月三一日(訓練一日目)

一郎は、午前六時に起き点呼があつたのち、体操や体力トレーニングをするために海岸の方へ行くよう命じられたが、拒絶反応を示し膝からくずれるように倒れて座り込んだので、コーチがホースで水をかけたところ、立ち上がり歩いて行つた。一郎は、右の体操や体力トレーニングのうち軽いランニングや握力の運動等比較的楽なものはしたものの、腕立て伏せ、腹筋や膝の屈伸運動は全くしなかつた。そして、海岸から本件合宿所に戻る際には這つて行つた。

一郎は、午前七時に朝食をすませたのち部屋の掃除を命じられたが全くしなかつた。

被告東らが健康診断を受けさせるために一郎を本件合宿所から車で約四〇分位かかる距離にある平病院へ連れて行つたところ、ヨット訓練には支障がないという診断結果がだされた。なお、平病院の病院長は被告戸塚の大学時代のヨット部の先輩である。ところが、右病院から角屋旅館に帰つてきた際、一郎は車から降りようとはせず、被告東らが引きずり降ろすと大の字になつて寝転び「僕には研究がある。」などと言つていた。なお、一郎は、本件合宿所に来てからコーチや他の訓練生に対し、終始「僕には研究がある。君達とはつき合わない。」と言つて馬鹿にしたような態度をとつていた。

一郎は、正午の昼食をとらないまま、午後一時からヨットの帆走訓練にあたらされた。しかし、一郎は、ヨットの組立ても身仕度も自分でしなかつたので結局コーチが行なつた。そして、一郎はヨットにも乗ろうとしなかつたのでコーチが無理矢理乗せたもののヨットの操縦についてはへばりついているばかりで全くやる気がなく、ヨットがひつくり返つて海の中に落ちても頭をおこすこともヨットにつかまることもしようとせず、海面に浮いたまま海水が口に入つてもはき出そうとさえしなかつた。そこで、コーチは、やむなくこれ以上訓練を続けることを止めて一郎を浜辺の焚火にあたらせた。その後もコーチは一郎に帆走訓練を行おうと試みたが、同人に全くやる気がなかつたので訓練は続行されず、中止された。

夕方食事と入浴をすませたのち、ヨットにっいての講義があつたが、一郎は全く耳を貸そうとはしなかつた。

なお、被告戸塚は、この日一郎の様子をしばらく見ていた。同被告は、その日の午後出張のため途中から外出したが、夕方にはコーチから雷話によつて一郎の右のような訓練状況について報告を受けていた。

(四)  一一月一日(訓練二日目)

午前中炭焼きの穴堀り作業があつたが、一郎は、休んでばかりいて全く無気力であつた。

午後の帆走訓練の際、一郎は、はじめ前日と同様に拒絶反応を示していたが、ヨットに乗せると今度は前と異なつてひつくり返るのが嫌なため不承不承、ヨットの操縦を試みるようになつた。

夕方右訓練を終えて本件合宿所へ戻る際、一郎は、歩かずに座り込むという状況にあつた。また、夜のヨットについての講議も依然として聞こうとはしなかつた。

なお、この日も被告戸塚は現場にいなかつたが、コーチから電話で一郎の右のような訓練状況についての報告を受けていた。そして、一郎が前日よりわずかであるが訓練に対し積極性を示したことから、被告戸塚は始に電話でそのことを報告し安心するように言い、それに対し始は無理をさせないでくれと頼んだ。

(五)  一一月二日(訓練三日目)

一郎は、朝の体操についてはやはり積極性がなく、午前中のヨット訓練については風が強く訓練不足のため救助艇で見学した。

正午に本件合宿所に戻つた際、一郎は、隣にあるコンクリートの駐車場で大の字に寝て訓練を嫌がつた。合宿所の二階へ上げ着替えさせ一郎の体温を測定したところ摂氏三五度であつた。コーチは膝等のすり傷についてオキシフル消毒をして手当てをしたのち毛布をかぶせて寝かせようとしたが、一郎は毛布を蹴飛ばした。その際、一郎は、牛乳を飲むことを拒絶し、また夕食も食べずにそのまま寝ていた。

被告戸塚は、電話で一郎の右のような状態について報告を受けたのでコーチに対し平病院に連絡するよう指示した。そこでコーチが平病院の平医師に連絡したところ、同病院は休みでありかつ体温が低い位たいしたことがない旨の答えであつたので、コーチはそのことを被告戸塚に伝えて了承を受け、一郎をそのままにしておいた。

(六)  一一月三日

午後三時ごろ、一郎は、「水をくれ。」と言つたのでコーチが水を与えた。また、そのころ一郎は、「神よわが愛を助けたまえ、僕が死んだら、おかあさんに僕は悪い子だつたと伝えてほしい。」などと言つていた。

一郎の体温を測定したところ依然として摂氏三五度であつた。被告戸塚は、一郎の右のような状態を聞き、平病院へ入院させるよう指示したが、同病院から、「先生もいないし緊急以外は困る。明日にしてくれ。」と断わられたので、翌日に入院させることにし、差し当つてはこのままにしておこうと決めた。

一郎は、ずつと食事も全くせず寝たままの状態であつた。

深夜、一郎の意識がなく脈も弱いというので、コーチが車で平病院へ運んだが、翌四日午前〇時一五分ごろ運び込まれた時はすでに一郎は死亡していた。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

2一郎の受けた傷害とその原因について

(一)  まず、一郎の死亡するまでに受けていた身体の損傷の状況についてみるに、前記甲第八号証および名古屋大学医学部に対する調査嘱託の結果によると、その部位は頭、顔面、胸、腹、背中から手足に至るまで全身一〇〇箇所近くにわたつており、したがつてその損傷の数も一〇〇を優に越えるものであり、またその損傷の種類は口唇粘膜に出血がある他すべて表皮剥脱、皮下出血に限られており、そのうち表皮剥脱については米粒大から鶏卵大まで不整形表皮剥脱と長さ一センチメートルから一ニセンチメートル位、巾0.1センチメートルから一二センチメートル位の大きさの線形表皮剥脱とがあり、擦過状を呈するものが多く、また皮下出血についてはそのための紫色変色が半米粒大から手掌大までの不整形なものと長さ一センチメートルから七センチメートル位、巾0.1センチメートルから0.2センチメートル位、間隔0.5センチメートル位の二条の並行する二重条痕と呼ばれるものがあり、前者は左眼窩部が特に目だち、後者は胸腹部とか背面一〇か所位に散在することが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  そこで、次に一郎の右受傷の原因について判断する。

(1) まず、右受傷の形状および数等に着眼してみるに、右調査嘱託の結果によると、傷の種類が表皮剥脱、皮下出血ということから成傷器は鈍体であること、表皮剥脱のうち擦過状のものは体表が表面の粗〓な鈍体と接触して主として上下方向にこすられたこと、皮下出血は鈍体による打撲に起因し、左眼窩部の皮下出血や口唇粘膜の出血は手拳によるものであること、二重条痕の跡は棒状のもので殴打されたことによるものであること、その他本件受傷の数、形状からして傷は他者の行為それも複数人の行為によるものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2) 次に、前記二の認定事実によると、本件ヨットスクールの指導方針として訓練等に際し無気力や怠惰な行動がとられた場合には訓練の効率を上げるために体罰をも容認し、その方法として手特に手拳や竹の棒による殴打、足蹴を太腿部等下半身を中心にして全身に加えていたことが明らかである。

(3) 被告可児本人尋問の結果によると、同被告自身が一郎に対し暴行を加えたことを認めていることが、被告山口本人尋問の結果によると同被告自身が一郎に対し暴行を加えたことを認めていることがそれぞれ明らかである。

以上(1)ないし(3)の事実に前記1の認定による一郎の本件合宿訓練の経過を合わせて考察すると、一郎の右受傷の原因は、その一部は同人を本件合宿所に連れていく際に始と被告横田らが加えた暴行によるものである可能性がないではないが、大半は一郎が一〇月三一日(訓練一日目)の訓練開始から一一月二日(訓練三日目)の体温が下がり寝込み訓練が受けられない状態になるまでに、もともと強制的に連れてこられ訓練に対して全くやる気を示さず、他の拒否反応を示す訓練生以上に強い拒否反応を示し、その他訓練以外の生活面においてもコーチの指示に従わないことが多く、さらにはコーチを馬鹿にしたような態度をとつたために、被告コーチらの全部もしくは一部から、幾度となく全身に対し手拳による殴打や足蹴が加えられ、特に胸腹部や背中に対しては竹の棒による殴打が加えられたことによるものと推認でき、右認定に反する<証拠>は措信することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3一郎の死亡原因について

前認定事実および右調査嘱託の結果に弁論の全趣旨を総合すると、一郎の直接の死因は、出血性肺炎であり病死であるが、その出血性肺炎発生の原因は、個々の損傷自体は直接死に結びつくようなものでないとはいえ、全身におびただしい数の損傷を受け、その際寒冷にさらされ、強制的に受けさせられた訓練により体力を消耗し、合宿以来満足に食事をとらず一一月二日午後寝込んでから一一月四日死亡するまで一日半も絶食状態であつたことなどが重なり合つて、感染症に対する抵抗力および反応力の低下をきたしたことにあると認められ、右認定に反する<証拠>は措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  被告らの不法行為責任

1  責任について

(一)  前認定のとおり、被告戸塚は、情緒障害児を教育するためにヨットの合宿訓練を行う本件ヨットスクールの経営者であり、被告コーチらは、被告戸塚の委任を受けた本件ヨットスクールのコーチであつて入校し合宿に参加した児童のヨット訓練および生活全般の管理を実施するものである。

ところで、このような場合、被告戸塚は、右合宿訓練期間中契約当事者として親権者である親の委託に基づき親に代わつて未成年者である子弟に対し、ヨット訓練と生活全般の管理を通じて指導教育をなすべき権限を有し、被告コーチらも被告戸塚の委任の下にその履行補助者として同様の権限を有しているが、その反面、被告戸塚および被告コーチらは、その責務において契約当事者である親はもとよりその子弟に対しても、子弟の生命、身体の安全をはじめ健康管理にも十分に配慮し、当該子弟のその時々の体の状態に応じた慎重かつ適切が訓練および生活管理上の措置を講ずべき注意義務があるのは当然といわなければならない。

しかしながら、前認定の事実によると、一郎は当時すでに成人に達していたが、同人が本件合宿所において訓練を受けることを承諾していなかつたことが明らかであり、同人を本件合宿所に連行し、同人を同所にとめおくことも強制によるものであつたといえるうえに、同人は同所における訓練を拒否していたことが明らかであるから、いかに同人の両親である始および原告ハナ子の委託があつたとはいえ、法律的には、被告戸塚が一郎に対し右のような指導教育をする権限を有していたとはいえないし、被告コーチらも当然このことを知つていたか、またはこれを知るべかりし立場にあつたということができる。したがつて、一郎をその意に反して本件合宿所に連行し、同所に寝泊りさせ、その逃亡を防止するという形で同人の自由を奪い、同人に訓練を強制したこと自体がすでに同人に対する違法な侵害に当るといわざるをえない。

このように、被告戸塚らが本件合宿所において一郎に対して訓練を強制すること等は適法な権限に基づくものではなかつたのであるが、被告戸塚らが同人を本件合宿所に事実上とめおき、訓練を強制するにおいては、被告戸塚らは、同人に対し、その生命、身体の安全をはじめ健康管理にも十分配慮し、同人のその時々の状態に応じた慎重かつ適切な訓練および生活管理上の措置を講ずべき注意義務があるのは当然であるといわなければならない。

(二)  そこでこの点についてみるに、前認定事実によると、一郎は本件合宿所に連れてこられた際、顕著な病状を有していなかつたとはいえ、二年余りの浪人生活により運動不足と精神的動揺をきたした状態にあつたのであるから、被告戸塚および被告コーチらとしては、そのような体の状態に応じた慎重かつ適切な訓練および生活管理上の措置を講ずべき注意義務があつたものといわねばならない。

しかしながら、被告戸塚および被告コーチらは、一郎に対し、平病院の健康診断に顕著な異常がなかつたことを理由に通常の訓練生と同様の訓練を行おうと試み、被告コーチらにおいて、訓練に対し他の訓練生に比して過度の拒否反応を示しかつ生活面での指導にも従おうとしない一郎に対し、こもごも手拳や竹の棒による殴打、足蹴による暴行を加えて前記のような満身創痍ともいえる傷を負わせ、さらには強制的に訓練させることにより極度に体力を消耗させ、体温が摂氏三五度まで低下し、身体の自由を欠き寝込む状態になつたのに医師の手当てを施さず、食事もとらさずにおき、被告戸塚において、右のような被告コーチらの措置を承認し、かくして一郎の体の感染症に対する抵抗力および反応力を低下させ、ついには出血性肺炎の発生を招き死亡させたものである。そして、これらのことや、前認定の事実によると、本件ヨットスクールでは、これらの訓練の過程において、これを全体として統括し、あるいは個々の被指導者についてその受けた指導、訓練、体罰等の総量を把握する責任を負う担当者はいないから、例えば訓練が過度にわたることのないように適切な配慮をする等の教育、矯正機関として当然備えているべき抑制機能をはたす組織体制が確立していなかつたといわざるをえず、ひつきよう、個々のコーチがそのときどきにおいてその裁量により指導、そして、指導の一環として体罰を加えていたものと認められる。そして、このような体制にあつては、指導や訓練が過度にわたり、被指導者の生命身体に危険を及ぼす可能性のあることは否定できないから、体制そのものに欠陥があつたというべく、本件死亡事故は、これらの体制の不備のうえにあつて、個々の被告コーチらが慎重かつ適切な訓練および生活管理上の措置を講じなかつたことから生じたものというべきである。それゆえ、被告戸塚および被告コーチらには、前記のような注意義務を尽さなかつた点に過失があるといわなければならない。

2  共同不法行為

(一) 前記認定事実によると、被告戸塚および被告コーチらは、一体となつて一郎に対し、訓練および生活管理をしていたものであり、個々具体的な訓練や生活管理上の指導特に体罰としての個々の暴行はそのときどきにおいてその衝にあつた被告コーチらの全部または一部が行つたものであるが、指導方針として体罰が容認されていたこととあいまつて、これらの指導や暴行は結局被告戸塚を頂点とする被告らにおいて相互に容認され、相互に利用補充し合つて、これらの指導や暴行を通じて一体としての訓練が行われていたということができるから、ひつきよう、右の指導や暴行は被告らの行為であるかないしは被告らはその結果についてそれぞれ同等の責任を負わなければならない立場にあるということができる。換言すると、被告らは、右の指導や暴行により生じうべき結果を回避するための共通の注意義務を負うものであり、この注意義務違反があつたときは、その結果につき過失による共同不法行為が成立するものというべきである。

(二)  そして、前記のとおり、被告らには注意義務違反があり、一郎の死の結果について過失があるというべきであるから、被告らは、原告らに対し、民法七一九条一項前段の共同不法行為の規定に基づき、連帯して一郎の死亡による後記損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

3被告らは、被告らの一郎に対する本件一連の加害行為は情緒障害児教育の一環としての行為であり正当行為として違法性が阻却される旨主張するので判断する。

確かに、前認定のとおり、被告らの一郎に対する本件一連の加害行為がいたずらに一郎の身体に危害を加えこれを弱らせるためでなく、一郎の精神力を強化し社会に適応せしめるべく訓練の効率を上げるためになされたものであることは明らかであり、その限りで一応目的の正当性を肯定しうる。また、前認定のとおり、被告らによる本件ヨットスクールの合宿訓練が一部の情緒障害児を匡正し、児童やその親から感謝されることのあつたことも明らかであり、その限りで一応の成果の上ることのあつたことも否定できないところである。

しかしながら、本件では被告らは、一郎に対して同人を訓練する正当な権限がなかつたのみならず、被告らは、ヨット訓練の過程において、前認定のとおり、訓練を拒絶する無抵抗の一郎に対し、手拳や竹の棒による殴打、足蹴等の暴行を加え、よつて同人の全身一〇〇個所近くに一〇〇を越える傷を生じさせ、これらの行為等により同人は体力が低下し体温が摂氏三五度にまで下がる状態に陥つているのに格別の医療措置を講じなかつたこととあいまつて同人を死に至らしめたものであり、これらのことからすると、被告コーチらの一郎に対する暴行は執拗かつ常軌を逸した程度のものであつたことが認められるから、被告らの前記目的達成のためにとられた手段方法は、著しく相当性を欠いたものというべきであり、被告の右主張は採用することができない。

五  損害

被告らの前記共同不法行為によつて被つた損害につき検討する。

1一郎の逸失利益 一八六五万二一〇七円

前認定事実によると、一郎は、高校卒業の学歴を有し、死亡当時満二一歳二か月の肉体的におおむね健康な男子であることが認められるが、他方で、同校卒業後大学入学試験に不合格となり、その後大学進学を志すといつても四か月位で予備校の登校を拒否し、さらには二年続けて大学入学試験をも拒否するに至るが、さりとて就職をしようともせず家の中に閉じ込もつたままの状態にあつたのであるから、同人が将来稼働するであろうことは否定できないとしても、労働意欲の観点から通常人と同程度に稼働できるか疑問なしとしない。したがつて、一郎については、通常人よりその収入を二割分控除して算定するのが相当と認められる。

以上より、一郎は、死亡時満二一歳であり、稼働年数は、満六三歳までの四二年間であり、労働者の賃金構造基本統計調査報告書(昭和五五年度)の企業規模計学歴高卒の満二一歳の男子労働者に対しきまつて支給する現金給与額月額一三万四二〇〇円、年間賞与その他の特別給与額年額三七万一〇〇〇円、年間合計一九八万一四〇〇円から二割控除したものを逸失利益の基礎とし、単身者の生活費を五割控除し、中間利息の控除につきホフマン式計算方法を用いて死亡時における一郎の逸失利益の現価額を算定すると、次のとおりになる。

198万1400×(1−0.2)×0.5×23,534=1865万2107円

2一郎の慰謝料 六〇〇万円

一郎は、前認定のとおり、二年余りの大学浪人中で精神的に動揺をきたしている状態にあつたところ、その意思に反して本件ヨットスクールの合宿訓練を受けさせるべく本件合宿所まで連れてこられ、ヨット訓練を強いられ、訓練を拒否し積極的でないことを理由に無抵抗の同人に対し、全身にわたつて手拳や棒を用いての殴打、足蹴等の暴行を加えられ前記のように全身に創痍ともいえる傷害を受け、体温が下がり寝込んでも食事も与えられず医療措置も施されず若年の身で死亡したものであり、その肉体的精神的苦痛を推察するに難くなく、その他本件に顕われた諸事情も合わせ斟酌すると、一郎の慰謝料としては六〇〇万円が相当である。

3相続 始、原告ハナ子各一二三二万六〇五三円

前認定のとおり、始と原告ハナ子は、一郎の父母であるから、同人の死亡により、一郎の被告らに対する右1、2の損害賠償請求権を二分の一ずつ各一二三二万六〇五三円ずつ相続したものといえる。

4始、原告ハナ子の慰謝料 各一〇〇万円

始と原告ハナ子は、前認定のとおり、一郎が大学受験に失敗し、予備校にも行かず、さらには二年続けて大学受験も拒絶し、就職もせずに自室に閉じ込もつたきりであつたので親としてその対策に苦慮し同人の精神力を強化し社会に適応せしめるべく本件ヨットスクールに預け、畿度も過激な訓練を受けさせないように頼んでいたにもかかわらず、預けて五日目にあたる一一月四日の午前深夜、突如として同人の死を知らされ、しかも同人の遺体には前記のよう幾多の傷が無惨にも残つていることを見せられ、その他前記のような被告らの一郎に対する合宿訓練での取り扱いその他本件に顕われた諸事情を勘案すると、一郎を失つた始らの慰謝料としては各一〇〇万円が相当である。

5弁護士費用 始、原告ハナ子各一〇〇万円

始と原告ハナ子の両名が本訴の提起と訴訟の遂行を原告訴訟代理人に委任したことは当裁判所に顕著であり、原告ハナ子の本人尋問の結果および弁論の全趣旨によると、その報酬として各自一〇〇万円ずつ支払う旨約したことが認められるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額に鑑みると、不相当なものでないと認めることができる。

六  始の死亡と相続

始が昭和五六年二月六日死亡したことおよび原告ハナ子がその妻であり、原告万理子がその子であることは、いずれも当事者間に争いがなく、したがつて、始の被告らに対する右損害賠償請求権は、原告らが各二分の一ずつ相続したものと認められる。

七なお、原告らは、被告戸塚に対し右不法行為に基づく損害賠償請求権の他に選択的に債務不履行に基づく損害賠償請求権を求めているが、同請求権によつてもその損害額において右不法行為に基づく損害賠償請求権を超えることはありえないから、同請求権については判断を示さない。

八  結論

以上の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの被告に対する各請求は、原告ハナ子については各自損害金二一四八万九〇七九円および右損害金から前記弁護士費用を控除した残額である内金一九九八万九〇七九円に対する右不法行為後で訴状送達の日の翌日である昭和五六年一月五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告万理子については各自損害金七一六万三〇二六円および右損害金から前記弁護士費用を控除した残額である内金六六六万三〇二六円に対する同日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれ理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条但書、九三条一項但書に従い、仮執行の宣言について同法一九六条一項に従い、主文のとおり判決する。

(川口冨男 園田小次郎 岡田信)

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